2020年1月10日
人権は民主的な法律を無効にすることができる!?民主主義の基本原理と人権の確立【やさしい政治経済講座】
今回は久々に政治分野についてお伝えします。
政治分野を考える上で大前提となるものの、政治・経済を学ぼうと思うと最初に難しいと感じてしまう「民主主義と人権保障」を2回に分けて取り扱います。
今現在、この世界に存在するほぼ全ての国には「国家権力」というものがあります。国民を服従させるわけですが、これによって社会秩序の維持、意思決定が行われています。日本ならば国会、行政機関、裁判所が国家権力を持っています。
法学、政治学では国家とは「領域、人民、主権(政府)」を持つ国を呼ぶ、ゲオルク・イェリネックの考え方が採用され、国際法上の国家承認要件にもなっています。
また、社会学者のマックス=ヴェーバーは「支配の三類系」として「伝統的支配」「カリスマ的支配」「合法的支配」をあげています。
「伝統的支配」とは最もわかりやすくいうなれば、大日本帝国憲法下の天皇が挙げられます。歴史、家柄、身分により、自らを神聖なものとして支配を正当化するものです。
「カリスマ的支配」とは、人間が想定できる範疇を超えた能力に対する信仰に基づく支配です。主に宗教国家で見られるもので、国家の主権がウェストファリア条約により確立する前のローマ法王、リンカーンや毛沢東もこれに当たるとされ、日本では卑弥呼は呪術的カリスマとして日本の古代社会を変えたとされます。
「合法的支配」は人民に対して法の遵守を要請することで支配します。この場合は支配者も法に拘束されることになります。合法か違法かが正当性を示す指標となります。
マックス=ヴェーバーはこれらについて、いずれも善悪の価値判断からは自由だとして、どれが正しいのか、間違っているのかは示していません。
それでは民主主義について見ていきましょう。
一般的に民主主義は「立憲主義」「国民主権」「権力分立」「法の支配」が基本原理としてあげられます。ここからはそれぞれがどのようなものかを見ていきます。
一つ目の「立憲主義」は憲法により、国家権力を制限し、人権を守るという意味でフランス人権宣言第16条では「権利の保障が確保されず、権力の分立が規定されないすべての社会は憲法を持つものではない」とされており、人権保障、権力分立をどのような方法であれ、規定すると憲法を持つ国家として成立すると取れます。例えば、イギリスは「憲法」という名のついたものは存在しません。イギリスでは中世以来の議会で成立した法律、慣習法(コモン・ロー)などの通常の法律が立憲主義の要件を満たしており、このようなものを不文憲法と呼びます。
2つ目の「国民主権」は自然権(基本的人権)=人間が生まれながらにして持つ権利 を守るための統治システムです。
これは国家の主権はそもそも国民にあるという考え方で国の絶対的権力は国王のものでも、天皇のものでも、総理大臣のものでもなく、国民が持ち、政府などは国民の意思により運営される機関に過ぎないということです。日本国憲法では君主主権を否定する原理として取り扱いますが、世界的には必ずしも否定するものではないとされています。
国民主権に基づく、意思決定には2つの方法があります。
一つは「直接民主制」です。
これは主権者全員で物事を決めて行くという考え方です。現代では補完的なものとして用いられており、日本では地方自治の地方特別法に基づく住民投票、憲法改正の国民投票、最高裁判所裁判官の国民審査がこれにあたります。
現在、主に用いられているのは「間接民主制」です。
代表民主制とも言われますが、議会政治により支えられる制度です。公に選挙された議員から成る議会により、意思決定を行います。日本国憲法では前文でも「その権利は国民の代表者がこれを行使し、その福利を国民が享受する」とされています。
意思決定には多数決が用いられますが、公開討論ののち、行うことになっており、少数意見の尊重が求められています。
3つ目の「権力分立」は政府などがいくら国民の意思に基づいて運営されるとはいえ、権力を背景に国民の自然権を侵害するようなことがないよう、権力を分けようという考え方です。
中学校では「三権分立」と習いますが、実は権力分立はもっと早くに提唱した人がいました。
それが17世紀、イギリスのロックの思想です。当時のイギリスでは議会の決定を国王が無視するという事態が多発していたために国家権力を議会の立法権と国王の執行権に分けるべきとしました。さらに立法権は執行権よりも優位に立ち、国王はあくまでも議会が制定した法律の執行機関としたのです。
それよりも1世紀遅い、18世紀にフランスのモンテスキューは「法の精神」の中で国家権力を立法権、行政権、司法権の3つに分立し、それらの相互監視により、権力濫用を防止する「三権分立」を提唱します。ロックの思想とは異なり、いずれの権力も優位に立つことはないという仕組みで「抑制と均衡(Checks and balances )」を働かせる仕組みです。
例えばイギリスはロックの思想に極めて近い政治制度をとっており、立法権が優位に立ちます。そのため、イギリスの連合王国最高裁判所は議会の制定した法律に対する「違憲審査権」がなく、2009年に設立されるまでは司法は上院の一部でした。
逆にアメリカはアメリカ独立戦争でイギリスから自然権をも勝ち取ったという考え方があり、イギリスとは異なる三権分立が取り入れられています。明確な三権分立で、積極司法主義と呼ばれる司法権の優位があり、連邦最高裁判所にはもちろん強力な違憲審査権があります。
では、日本はというと、日本はいいとこ取りをしたような制度です。立法権と行政権(執行権)が非常に近いイギリス型の「議院内閣制」を採用しているものの、司法権は違憲審査権を持ち、三権分立の一面もあります。これは日本の近代化と戦後処理という歴史の中で生まれた、ある意味では良い制度なのかもしれません。
最後に4つ目の「法の支配」です。
ここでは2つの考え方が出てきます。「法の支配(rule of low)」と「法治主義(rule by low)」です。それぞれを説明しますから、皆さんはどちらが良いと思うか考えながらみてくださいね。
一つ目は「法治主義」です。
これは政治を行う時には議会が定めた法律に従うことを求めています。法の内容というよりはどのように制定されたかという手続きの合法性を問うもので、正当な議会で制定された法律には必ず従わねばなりません。
二つ目は「法の支配」です。
これは国民はもちろん、権力者も法律よりも優位な法によって拘束されるという考え方です。こちらでは内容が重視され、議会が制定された法律であっても自然権や憲法を侵害するものなら、法律として認める必要がないとするものです。
どうですか?どちらが良いですか?
これには正しい答えがあります。
それは「法の支配」です。
では、なぜ「法治主義」ではいけないのか。
実際の事例から見てみましょう。
20世紀のドイツではすでに民主的な選挙による議会がありました。当時のドイツは「法治国家」だったのですが、そこで公の選挙により第1党となったのはアドルフ・ヒトラーが率いる政党でした。彼らは正統な議会ですべての権力を自らに集中させる「全権委任法」を可決。民主的な選挙によるものがその後、ユダヤ人の迫害や戦争といった負の歴史を積み重ねることになりました。
結局、いくら民主主義と言えども多数派が間違いを犯すことがあり、その間違いに気づけなかった時の最後の砦として憲法や自然権は法律よりも優位に立って国家権力を縛る必要があります。
自らが行使する権利によって他人の自然権を奪うようなことがあってはならないという考え方に立ち返ると「法の支配」の正しさが見えてきます。
2回目の次回は自然権、基本的人権と呼ばれるものを掘り下げていきます。
※ミスなどがありましたら、コメント欄もしくはお問い合わせフォームにてお知らせください。
※センター試験が近い関係で「やさしい政治経済講座」の公開頻度を上げさせていただきます。
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