社会契約説は暗記ではなく、ストーリーで理解しよう!【やさしい政治経済講座】

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前回に引き続き、民主主義、民主政治について見ていきます。

今回は「政治思想」です。
主に政治経済では「王権神授説」と「社会契約説」の二つを考えることになります。
現在の立憲主義国家のほとんどで「社会契約説」を採用しています。

それでは「王権神授説」から説明します。
王権神授説はイギリスのジェームズ1世が1591年の論文の中で、同じくイギリスのフィルマは1680年の主著の中で、フランスのルイ14世、同じくフランスのボシュエも1685年に主著で主張しました。
王権神授説は王が王である理由を説くものですが、その理由もなかなかで「王の権力は神から授かったものであるから神以外には拘束されないということだ。それは人民からの拘束などあり得ないし、ローマ教皇でも王には逆らえないのだ。」と主張したのです。
たしかに当時のヨーロッパではドイツ三十年戦争の講和条約であるウェストファリア条約に国家の主権が盛り込まれるまで国家の内政に対し、「神の代理人」とされてきたローマ教会が干渉するということがあったほどに「神」というものの存在は大きいものでした。
王権神授説は内政干渉を防ぎ、国家の主権を確かなものにする根拠として機能しましたが、逆に王の絶対性を肯定するものでした。王権神授説の下では市民の中に王権神授説を疑問視し、抵抗する者もいましたが、強力な軍によって抹殺するほどでした。
力によって支配を守る方法がいつまでも通用するはずがありません。1642年にイギリスでは市民の不満が頂点に達し、ピューリタン革命(清教徒革命)でチャールズ1世が倒され、共和制による政治体制が確立します。しかし、政権を握ったクロムウェルが独裁政治を展開し、国内は荒れに荒れ、市民にも王がいる方が良かったとの風潮が出てきたのです。そこで登場するのがホッブズです。ホッブズは「社会契約説」の一つを提唱します。
それではまずここで「社会契約説」とはどのようなものかを説明します。
社会契約説は王権神授説で王と人民の関係は神と民の関係であるとされてきた関係性を変え、「国家」が成立する前の状態を「自然状態」と仮定し、そこから国家を成立させていく過程で支配者と人民が「契約」を結ぶことによって、市民に認められた正当な国家であると示すものです。
その過程には様々な考え方があり、今回はうち3人の思想を自然状態→社会契約→国家の順にストーリー性を持たせてわかりやすく解説します。
ピューリタン革命からの混乱からでてきたホッブズは1651年に『リヴァイアサン』で社会契約説の一つの考え方を提唱します。
ホッブズの描く自然状態は…
民A「あ、B。いい財産持ってんじゃん。よこせよ。」
民B「なんだと!?フザケンナヨ💢」
民C「ムカツクから攻撃してやる!!」
国の中は大混乱です。
ホッブズは自然状態を「万人の万人に対する闘争」と表現しています。しかし、これは私たちの直感からは離れているかもしれません。ホッブズは当時のイギリスの実際の混乱ぶりを描いています。
ここで社会契約を結びます。
民A、B、C「もうこんな世の中、怖くて無理!助けて!」
王「うむうむ、ならばこの私が守ってやろう」
人民はこの時に自らの自然権の一つ、自らを維持してもらう権利(自己保存権)を保障してもらうため、王に対して自然権を「移譲」しました。
その後の国家はどうなるのか。
王「私が民どもを守ってあげてるんだから、私の言うことは絶対だよなあ?」
民A、B、C「もちろん!」
ホッブズは国の安定を保つためには国王のような強大な権力により支配するべきと説きました。実際にイギリスではクロムウェルの死後、王政復古がなされています。
見ていただいてわかる通り、ホッブズは王権神授説は否定しているものの、絶対王政を擁護しており、社会契約説によって王の正当性を確実にしたと言うことになります。これはホッブズ自身がチャールズ2世の家庭教師として働いており、王室と非常に近い関係にあったからとも言われます。
その後のイギリスでは結局、絶対王政はうまくいかず、1688年に革命機運の高まりを察知し、処刑を恐れたジェームズ2世が他国に亡命。無血革命として知られる名誉革命を達成します。
名誉革命の影響を受けたロックは1690年に『市民政府ニ論』の中で新たな社会契約説を提唱します。
ロックの自然状態はこうです。
民A「とっても平和だね!」
民B「財産も今は安全だけど、もしものことがあったら不安だなあ」
民C「確かにね。私も財産どう守ろうかな。」
ロックの考える自然状態はホッブズとは対照的に自由で、平和でした。自由権や財産権も守られていました。
ここでポイントなのは民衆には多少の不安があるということです。
そこで社会契約を結びます。
政府「皆さんの財産を守り、皆さんの不安を私たちが払拭しましょう!」
民A「じゃあ頼んでみるか!」
民B「これで不安がなくなる!」
民C「裏切るのは許さないよ…?」
民衆は不安をなくすために、よりよい状態を求めて政府に自然権保障を「信託」します。さらにロックは政府の権力を立法権と執行権に分けることでより確実な自然権保障と政府の暴走防止に役立つとしています。
ただ、実際に国家になるとこんなことがあるかもしれません。
政府「それではあなた方の財産を理由はないけど、没収しま〜す!」
民A、B、C「ふざけるな!こんな政府は信用できん!ぶっ潰してやる!」
このように自然権保障を行わない政府に対しては「抵抗権(革命権)」を行使して政府を倒すことが認められるとしました。
このロックの思想は非常にわかりやすいうえ、説得力もあるため、ロックはイギリス人なのですが、アメリカがイギリスから独立する時にアメリカ人は抵抗権の行使と主張しました。
イギリスでは早くから上手くいった市民革命ですが、フランスでは相当遅れてその流れがやってきます。流れの先駆けとなったのが、ルソーが1762年の『社会契約論』で提唱したものです。
ルソーの自然状態はこうです。
民A「平和だわ〜」
民B「みてみて!あの花きれいじゃない?」
民C「暖かくて気持ち良い日だし、昼寝でもするか!」
ルソーは自然状態が理想的な状態で自由権や平等権は完全に保障された状態であったとしています。
ここでルソーは「社会状態」という段階になっていくとします。
民A「俺、こんなに金持ち〜!俺様最高っ!」
民B「助けて…。貧しい…。」
民C「お前のそれを俺によこせ!攻撃されたくなければ渡しな!!」
社会はだんだんと貧富の差が広がり、争いの絶えない社会になっていってしまうと言います。イギリスよりも長い間、絶対王政が続いていたフランスでは近代化を進めるイギリスと比較した時の焦りや絶対王政の弊害でもある特権階級に資本が集中する状態がみられ、人々の不満が高まっていました。
ここで人々は「社会契約」を結び、「国家」を形成します。
民A「俺たちこんなじゃダメだ…。自然に帰ろう!」
民B「じゃあ自然に帰るためにどうしていこうか。」
民C「みんなで話し合おう!」
ルソーは社会状態への不満から人々は理想である自然状態に帰ろうと考える「一般意思」を形成するとしています。
権利保障には全員の意見を取り入れるべきとして「直接民主制」を主張し、ロックの「間接民主制」を批判しました。
また、自然状態への過程には「法の支配」が欠かせないとも主張しています。
ルソーの王や政府といった権力を否定し、民衆自らが新たな国家を作ろうと主張する革命的思想はのちの1889年、フランス革命に影響を与え、「法の支配」の主張は同じ年のフランス人権宣言に反映されています。

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