【東海道線】難工事の末、開業した丹那トンネル。今の東海道線を支える要所!【放課後熱海】

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伊東線で熱海まで戻って来ました。

帰る時間まではまだまだありますので、JR東海管内の東海道線に乗ってみようと思います。

熱海からの静岡方面の東海道線はJR東海の管轄です。静岡支社が管轄していて来る車両も静岡車両区の車両です。
東海道線の静岡地区といえばオールロングシート、トイレなしで知られますが、今写っている313系はロングシートではありますが、快適ですし、トイレもあります。
もう一つの211系はトイレがなく、ロングシートも少し硬めです。
基本は211系は313系に併結されますが、一部単独運用もあるのでトイレについてはご注意ください。
まあとりあえず三島まで来ました。
次の沼津で御殿場線と接続しますが、東海道線の国府津〜沼津駅間は1934年まで御殿場線周りで箱根を避けるように運転されていたことが知られます。
つまり1934年までは御殿場線が東海道本線で国府津〜熱海駅間は熱海線と呼ばれました。
前述の通り、御殿場線は箱根を迂回するために御殿場周りにした路線で国府津から沼津に出るには相当遠回りなルートです。
さらに富士山周辺のため、山がちで勾配により長編成化できない、補助機関車が必要などの支障が生じていました。
国府津から沼津への短絡ルートは熱海線を熱海から先の三島、沼津方面につなぐことでした。
しかし、これにはもっともな問題がありました。
熱海からの延伸ルート、熱海〜沼津駅間のうち、熱海〜函南駅間には箱根と天城を抱える丹那盆地の下を通す必要があり、相当長いトンネル建設が必要だったのです。
当時の鉄道院は1909年に需要があるとの判断から新路線建設可否を命令しています。
1918年から工事が開始されました。
三島からは再び熱海方面に戻りながら歴史を辿ります。
211系です。
新幹線の開業で一躍ターミナルになった三島駅。
東海道線はここから山を少しずつ登っていきます。
かなり山がちになります。
東海道線というと海のイメージですが、正反対です。
1918年に建設が開始された丹那盆地を貫く丹那トンネルですが、相当の苦戦を強いられます。
まず、掘って行くと相当の湧き水が出ました。
生半可なものではなく、量は箱根の芦ノ湖の貯水量の3倍と言われます。
これによってトンネルの上にあった台地は地下水が出なくなり、灌漑水が得られず田んぼは枯れ、7箇所あったワサビ沢はすべて消失しました。鉄道院はこの被害に対して当時としては相当額となる117万円を支払っています。
1920年には熱海口で崩落事故が発生、42名が巻き込まれました。1923年には三島口で崩落事故が発生、16名全員が死亡しました。1930年の西伊豆地震では影響によりトンネル自体が移動、そのズレを修正するべくS字型構造になっています。さらにこれによって3人が死亡しました。この工事で67人の方が亡くなられています。
当初予定よりも9年遅れ、当初予算の4倍近い工費をかけて1933年に開通しました。
この丹那トンネル建設に際しての多数の犠牲によって今の東海道線のルートはありますし、大幅な時間短縮に繋がっています。
東海道線全体のルートから見ればたったひと区間、熱海〜函南駅間のトンネルかもしれませんが、このトンネルが与えてくれた恩恵は数知れません。
丹那トンネルを超えます。
本当に長いトンネルです。
熱海に帰って来ました。
次回の「放課後熱海」は!
JR東日本東海道線の速達列車「快速アクティー」をご紹介!
お楽しみに。

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